朝、時間がぽっかりと口を開けてやさしく私を迎え入れてくれたような気がして、大船に乗ったような心地で本を読んだ。
『宇宙人の食卓』、私は小指さんの作品が好きで、とても一方的に、彼女のキッチンで私の焼いたコーヒーが落ちる日を夢想している。
彼女が私たちに描いて見せてくれる四畳半のアパートで、お世辞にも綺麗とは言えないキッチンの、油のこびりついたままに置かれたお皿たちを脇に押しやって、どうにかこうにか拵えたスペースで、ヤカンからお湯を注いでコーヒーを淹れる。
文字通り、猫の額ほどの小さなスペースから、湯に浸かって花開くかのように立ち上るコーヒーの香りが私の贈り物で、世界とのかかわり方だ。
話がそれた。
パソコンにかじりついてなんちゃらという名前の、言語を駆って何事かを組み立てる人々の腰が背中の重みに耐えかねて曲がっていくように、ピンヒールでフロアを駆けまわる彼女たちの親指小指が内側に反っていくように、世界と対峙しつづける代償はそこかしこにあって、ソファに寝転んだきり、日が落ちてもそのまま眠りこけていた画家志望の彼の足の裏は赤子の頃のままのように、ぷにっとしていた。
身体の輪郭のすぐ外側から展開される世界とかいうものに立ち向かうために、人がてにするものがジャックダニエルの瓶なのか学術書なのか、それくらいの違いしかないように思うけれど、違うということが人を腹立たせるのかもしれない。
小指さんの描く人々が世界と対峙するために手にしたもの、その代償、愛おしくも禍々しい、彼らの生き方を間接的に知り、私は自分の足元を見る。
私は既に幸せを誰かに分けたり、ちょっと袖を引っ張って、こっちに行ってみない?なんて聞いてみたりする順番が回ってきていることに気づく。
幸せの天井を見た、8年前の夏の代償。
私は人を幸せにする責任がある。