欠伸をする人が肖像になることはなかった。
野辺送りにしていた憎悪を棚から引っ張り出して、まだソ連があったころの地球儀を眺めまわすようにしげしげと見つめてみる。
suicidal tendencies の帽子をかぶっている人がとにかく苦手だったなあ。
人の顔を眺めて、どの部分が誰に似ている、目元はお母さん、骨格はお父さん似だね、そういった情報を全く読み取ることができない人は何と言ったか、なんらかの病気らしい。
私はモノの形の区別が、バイクに乗るようになるまでつかなかった。覚えている。
この人が持ってるのはギター?ベース?
タイヤが4つついてるから、車だね!
かつてここが焼け野原だったころを知る人は、もう少ない。
アスファルトで蓋をして、終わったら次は垂直方向に置き石をして、私は再びこの地をセイタカアワダチソウで埋め尽くすべく生まれたのだろうか?
海もいいね。名古屋駅ビルなんか、海の中にあったら、荘厳だよね。まだ航空誘導灯の赤い光がぼんやりと点滅しててさあ…。哺乳類という哺乳類が全滅しちゃったから、ほら、ガラパゴス?みたいに島嶼化に近いことがさぁ魚にも起きて、今でも大きいのにさ、高速バスみたいな大きさのスズキとかがその辺を泳いでんの。ロマン!…
ある日突然に、忘れさられる過去の出来事は日を追って増えていく。
私がお茶碗二杯分もご飯を食べればお腹がいっぱいになるように、限界を示すサインが、身体から発せられる。
おしゃべりをしていると、私の言葉が誰かの記憶に間借りするような気がして、非常に申し訳ない。もう少し綺麗な、整った言葉をかけてあげたいけれど。
1-6-2-5の、シンプルなポップソングを歌うまでの苦しみや悩みに私は興味があるんだ。