「レイラ…?ああ、あの、リフだけの…出オチの曲?」
出るとこに出れば、暴力沙汰になりそうな発言だけど、20代の初めまでそう思っていたし、最近まで大差ない感情を抱いていた。よく聴けば、リフからメロディに入っていく時の、落下する感じ?は心地よいし、メロディも、良い。問題はアウトロ。長いし全然ピンとこない。これは好みの問題である。みんな大好きなオアシスも、イントロに冗長さを感じてしまって退屈。同じ理由でストロークスも全然聴けない。多くの日本人の感性に漏れず、歌ってない部分にあんまり魅力を感じない。だからイントロもアウトロも短いのが至上だった。
灰野敬二氏が、インタビューで「言い足りないことがあるから、黒人はチョーキングをしたのかもしれない、いつまでもリゾルブしないメロディを奏でたのかもしれない(だいぶ意訳)」と言った発言をされており、なるほどそう考えると、退屈なだけで捉え所のなかったアウトロにも、観点が与えられたような気がする。でもレイラはダメ。やっぱり退屈。レイラだけでなく、アウトロは基本的に苦手だった。
今夜はbetcover!!のライブを観た。柳瀬さんの一挙手一投足、七色に変わる歌声、時折メンバーに向けられるハンドサイン、カタルシスを容易に与えてくれぬ急展開を見せる楽曲群、「そして俺が柳瀬二郎…」という自己紹介。
全部が最高だった。そして初めて、アウトロが、「まだまだ全然言い足りない」と叫ぶような爆音のアウトロが、私の琴線に触れ、果たして「終わってほしくない」といった感情を私に想起させたのだった。
爆音に耳を塞がれてる間、五感の一つを失い、自分の声色がどんなだか、まるで見当もつかない爆音に包まれている間、私たちは一つだけ何かを許されていて、その一つを後生大事に抱えて、私は不恰好に踊り、少し腰を痛めた。良い夜だった。