『はじめてのおつかい』ってそういえばちゃんと見たことないな。
企画の内容をなんとなく知っているから、だいたいのストーリーと山場のような場面を想像して、もうそれで満足してしまっているので、何曜日の何時から放送されているのか、そもそも番組はまだあるのか、全然知らない。
大人でも、おつかいを頼むと人となりがわかる。
普段から近所をうろついていて、家事にも勤しむタイプの人だと、場所も、買うものも、的を射ていたり、代替物の検討もつくので目的の品物ずばりが売ってなくても代わりのものを見繕って買ってきてくれたりする。
google mapにピンを立てて、まず営業しているのかどうか確認する人、私の電話番号を聞いてきて、何かあった場合に代替物の指示を仰ごうとする人、目的の品が見つからなければ手ぶらで帰ってくる人、反対に、見つかるまで全く帰ってこない人、現地で電話してきて、なにか他に必要なものはないか電話してきてくれる人(結構これがしんどかったりする)。
基本的にどのパターンもかわいい。
だが、指示を仰ぐことなしに手ぶらで帰ってくる人にはもう頼まない。
しかし、頼まないと言う選択も合理的なものでは到底なく、「いつもお土産をくれる親戚のおじさんが今日は何もくれなかった」といった類の子供じみた不満の結果なんだろうな、と思うことがある。
私たちは幼少期よりも、いったいなにが成長したと言うのだろうか。
振り返れば、たとえばハイティーンの頃の自分などまるで動物だと思うことはあるけれど、単純に選択肢の幅が広がったり疲れが全身に染み渡っているから即断ができずに処理落ちして、結果周りからは落ち着いて見えるだけで、感情の機微は基本的に何も変わっていないような気がする。
なにが言いたいのだろう。
事あるごとに小さな注意をしてくるおじさんおばさんは、遠ざけるに越したことはない可能性があるよ、という結論だろうか。