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人付き合いがあまり得意ではない。こう書くと「生きづらい」という言葉で逆説的にマウントを取るような格好になるのであまり好きではない。わたしは「人見知り」という言葉の威光を笠に着て、思う存分人見知りのそぶりをする人間を憎悪する。
人付き合いが得意でないのは、おそらく好きになる人が少ないからである、と仮の結論も得ており、ちゃんと対策も考えている。
ずばり、素因数分解である。
雲行きの怪しさがあるな。かまわず続けます。

人付き合いが得意ではない事と、好きな人がいることは両立しうる。
パッと思い出しただけでも、7人くらいは好きである。
彼ら彼女らの、どこが好きなのか、それを限界まで…素数と呼ぶにふさわしい、彼ら彼女らにとって所与に近いところまで分解して捉えると、声が好きであることに思い至る。

声が好きだと思ったから好きであるのか、彼ら彼女らの気質が私の性に合っていて、好きになり、結果的に声も好ましく感じているのか、そこはここではどうだって良い。
好きな人の絶対数を増やすためには、「好きな人の声」という概念だけを抽出し、それらに類似、または(ほぼ)同定できる声を持つ人間をざっくりと「好きなものを備えている人=好きな人」だと捉えることが、私にとって必要不可欠なのではないだろうか。

そのように考えて、出会う人の声に耳をすまし、その声を抽出して検討材料に挙げるようにしてから、好きな人の絶対数を増やすという本来の狙いとは別に、予想もしなかったことが私の心に起こった。
さきほど、「パッと思い出しただけでも7人は好きだ」という風に述べたが、出会う人々の声を抽出するうちに、比較材料としての「好きな人の声」の数が倍以上に膨れ上がったことである。
アニメオタクの友人、スターダムにのしあがったミュージシャン、軽音サークルのギターが上手だった先輩、穏やかでカレー好きな後輩、敵役として引っ張りだこの声優、鼻詰まりの女の子、かつての上司、エトセトラ、エトセトラ…。

決して、一般的に言われるような良い声の人ばかりというわけではない。なぜ彼ら彼女らの声を好ましく思うのか、それはここではどうだって良いし、理由は分からない。
会ったこともない人、今はもう会わない人が大半を占める『私の好きな人の声のリスト』だけれど、私はこれからも人の声色を抽出して比較検討し、そのたびに、彼らのことを思い返して「好きだったんだなー」という感情を再確認する。
好きな人がどんどん増えて良い。人付き合いも頑張れそうである。