さて昨日の段階で私自身は考える頭を持たず、一口の延長コードである可能性がでてきた。
延長コードには役割がある。
コンセントから遠いところにある電化製品に、その使用場所を極力変えること無く電力を供給するために、電化製品に予め備わっているプラグに接続し、コンセントまで伸ばすための補助的なコードである。(延長コードの使途を言語で表現してみると、意外に無駄な文言がいくつもこびりついてきて困惑してしまった)
これで、延長コードの使途については読者の方にご理解いただけたとしよう。
しかし延長コードは読者ではない。一見したところ目のような機関が存在していないという意味において、読者ではない。つまり延長コードが自らの使途を認識している可能性は低い。
さらにいえば、自らの使途を認識している素振りについて知悉している人…たとえば町に繰り出した際に道ゆく人々を眺めては時折指を差して、「ほら、あの人…あそこでガードレールに…そう、あの人のあの仕草は、自らの使途を知悉しているという素振りですよ」といった情報を披露し、「自らの使途を認識している素振りについて知悉している」人に出くわしたこともないため、自らの使途を認識している素振りについての情報が私には全くない(前段にて「延長コードが自らの使途を認識している可能性は低い」と断じたことと矛盾してしまっていることに関しては、目を瞑ってほしい)。
延長コードは自らの使途を認識しているのだろうか(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』みたいと思った方。主語が無生物というだけです)。その点に関しては確認ができない。自らの役割を認識している素振りも、それを言語化して他者に伝達することもできない延長コードは、ならば自らがその身で以って運んでいるものが何であって、それがどこからどこへと運ばれていくのか、理解しているだろうか。
私には自信がない。
つまり、延長コードが自らの身で以って運んでいるものが何であって、それがどこからどこへと運ばれているのか理解していると断言することも、否定することも、自信がないのでできない、ということだ。
だがそれは、実は私が延長コードであって、上に挙げたあらゆる物事に関しての言葉を持たないせいかもしれない。本当の知的生命体であるところの人間の手にかかれば、延長コードは自らの役割は認識しておらず、自らがその身で以って運んでいるものがなんであって、それがどこからどこへと運ばれていくのか、理解しているかどうか、という疑問に対して、「んなわけねーだろ」と一蹴することができるかもしれない。
そういった意味では、やはり私が延長コードであることを完全に否定することはできない。