チョークを置いて、その誰かが話し始めた。意味のない物事が連続して連なっていけば、それはそれで一つの意味を描き出すものだ。キャンバスに点が三つ、あれば人はそこに誰かの顔を見出してくる。それにしても、赤道っていうものは地球をちょうど半分に割るときの参考にすべき線だと君は思うかね?わたしにはどうも疑わしい。演算の最終的な局面で美しさが現れる、とされる言説も、まやかしである可能性をわたしは捨てない。ここに、4本のナスがあるがわたしとあなたで2本ずつ分けて平等とするには、ひとつ、不釣り合いに大きなものがある。これを4と捨象してよいものか?この世界にはミョウバンだけがない。切って平等に分けようにも、お互いに切り口の黒ずんだナスを手に入れるだけだ。では、1本ずつ手に入れて仕舞えば良いのか?美しさとは、歩留まりの悪い所作か?
どうすれば私たちはナスを無駄にせずに分かちあえるのか?ここで初めて、毒揉みの必要性が出てくるわけだが…代わりに算盤を弾き始めてからが、どうやら分かれ目となったようだ。