振り返すことを辞めたんだったか

仕事中や暇な時間、ポッドキャストを聴いている。
四六時中音楽の世界に浸っていてもいいのだが、ありとあらゆる音色の、ありとあらゆるリズムの中を行ったり来たりしていても、例えば鯵の仲間は皮の外側にある骨を梳いて取り除かねばならない事や、高分圧の酸素による中毒症状が現れるまでの時間の意外なまでの早さ、などを知ることはできない。
話題は哲学の祖・ソクラテスに関する読み解きだった。彼の考える、幸せで良い人生を送るために必要な、絶対的な要素…それは秩序である、そうである。そうなの?うんどうもそうらしい。
秩序を守ること。裏を返せば不正を働かないこと。細に入れば論理の筋を間違いなく通すこと。
私が高い所に登っていると母は必ず降りてきなさい、と言った、もう記憶があいまいだ、きっと言ったであろう。高い所は平たんな場所と比べてその面積が限定的であり、けがを負う可能性が高く、母は私にけがをしてほしくなかったからだ。
隣のクラスの友人は、私と廊下ですれ違う際は必ず私に向かって小さく手を振ってくれていた。私に会えることを嬉しく思っていてくれて、その喜びを伝えたく、かつ大きく時間を浪費させたくなかったのだろう。
今になって、もう誰も足元のおぼつかない私を見とがめず、喜びもしない今になって…私に施されていた様々の営みが幸福に感じられる事がらであったように思う。
その幸福は、他人が負っていた秩序の一端に触れることができていたことに起因しているのではないか、というような憶測が、頭をよぎる。

私は手を振り返したんだったか…そしてそれを辞めたのは、なぜだっただろうか…。
THE虎舞竜みたいな話だな。いやしかし幸せだった。