天気に泣かされることの多い私はこの日、私の思う天国のような穏やかな陽気に恵まれた。
covid-19の蔓延に端を発した私のコーヒー屋としての新しい日常は、思えば播種や耕起のタイミングを見計らう農夫のように空を仰ぎ見ることと隣り合わせにあった。
いいじゃん。ひとりごちる、どうにもならない物事がもたらす諦めを誰かと分かち合う心地よさ。
しかし、そのどうにもならない物事が、疫病であってはならなかった。事実そうであっても、別の物事に代替すべきだと思った。
4月11日、良く晴れた日曜日。
第二回・ムテの音楽鑑賞会。今回はところを変え、名古屋市北区の古い平屋をお借りして催しました。
夕闇の迫りくる小さな平屋で聴く音楽は、拠り所となるような暖かみのあるメロディが良く似合うと考え、鈴木涼さん、イケダユウスケさんのお二人と、急遽お誘いして堀嵜菜那にご出演いただきました。
なんでしょうね、人間が耐えがたいことの一つに、待つという行為があると思うんですけど、音楽は有史以来ずっと、その途方もない待ち時間の傍らにあったんじゃないかと、そういう気がします。
まったく可食の見込みのなかったトウモロコシの原種を、あれほどまでにふくよかで甘い食べ物になる兆候を見出し、実現するまでの時間とか。
ストーンヘンジって、完成までに2000年かかってるんですって。
完成までのその最初の100年にかかわった人に思いを馳せると、必ず傍らに音楽があってほしいものです。途方もないですよね。待てずに死んじゃうぐらい、壮大な物事に携わる人たちのこと。
私なんかが足元にも及ばないくらい読書家の父が「止まない雨はない」と言ったとき、彼の蔵書は燃やしてしまおうと決意しました。
止まない雨があるかもしれない、と考えたほうが、今は救いがありませんか?
それは決して無学ゆえの刹那的で投げやりな快楽主義を助長する考えじゃありません。もっと殺伐とした…たとえば、親に怒られている最中、どうして怒られるまでは、こんなどうってことない説教の時間にビクビクしていたのだろうと自嘲しつつ、しょげ返った顔をしてみせる二面性。その二面性の存在をおおっぴらにしていく時代がきたような、気がしています。
あまりまとまっておりません。硬直したものが苦手なのが、語り口にも表されています。
最後に、最高の平屋を貸してくださったlook book の小田井さんご夫婦、美味しい料理をたくさん振舞ってくださったM’s Kitchen の真理子さん、素晴らしい音楽を届けてくださった演者のお三方、運営メンバーのみんな、なにより足を運んでお付き合いくださった皆様。どうもありがとうございました。
またやります。