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自主企画を終え、日常が戻ってくる。すなわち腰痛が戻ってくる、といった形である。なぜ腰なんてものがあり、私は二足歩行を続け、年輪のごとくどんどんと首が太くなるのだろうか。身体が疎ましい。生殖に適当な年齢を越えてからの、人間の人生の無慈悲なまでの長さに身体が全く適応していない。いや、適しているからこそ、壮年期に差し掛かるにつれて身体が面白いように簡単に壊れていくのだろう。
早く立ち去れということだ。
煙管がとうとう不味くなった。こまめに掃除をしているのものの、羅宇竹の内側がタールで覆い尽くされてしまっては、善後策の施しようがない。竹を挿げ替えねばなるまい。
この挿げ替えるという発想において、日本のあらゆるものは絶妙だと思う。下駄であれば鼻緒、煙管は竹。どちらも用途において無くてはならないパーツではあるが、それらが交換されたとしても、新しいそれらを買い替えることと挿げ替えることとは全く意味合いが異なる。

しかし、たとえばL.L.Beanのガムシューズは、すげかえる場所といえばあの特徴的なゴム底の部分であり、昨日と明日を繋ぐ普遍の部位はアッパーである。なんだか不思議である。眼球が同じであれば、どれだけ顔をいじろうとも同じ人間である、といった、不思議な感覚に近い。うーん、例えに失敗した心地がする。
今日と明日とを繋ぐ部位とはなんだろうか。