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虹って大きすぎると気持ちが悪いですね。無批判に喜ばれる自然現象だから、あんまり楯突きたくない。でも思っちゃった。
自分の中で勝手にイメージされている「これくらい」というバランスを、大幅に超えたものって気持ち悪い。気持ち悪いし、怖いもの見たさで再び見たくなるものですね。
具体的なものがなかなか出てきませんが。マレットヘアとか。レドゥマハディみたいな、初期の恐竜のバランスとか。デカすぎるイカとか。
2000年代初頭の女性の細くて長く、眉山と眉尻の起伏がはっきりと描かれた眉とか。
あんまり洗練されてバランスの取れた、時代の洗礼を経ても古びないものばかりを皆が目指しても面白く無いよなとは思いますけれどね。
自分は結構、昔の写真見せると笑われる程度に流行りを追っかけちゃう人間なので、古びない人は羨ましい。

その場所でしか息継ぎできないんだよ俺は、私は、みたいな人がライブハウスにはいるようで、俺はよく考えたらハコに入り浸るという青春時代を経験していないためか、全然そんなふうに思わない。野垂れ死ぬかもしれない恐怖と引き換えに、雇用主に時間を買われる生活から解放されてるからかもしれない。
そもそも、暗がりでもみくちゃになることにあんまり快適性を見出していない。モッシュをしようが演者のダイブを受け止めようが、柵を越えてステージに上がってマイク奪って叫ぼうが、なかなか彼我の境界線は溶け合って一つの大きなゼリー上の物体を目指そうとしない。
それならいっそ、薄目の奥で我々民を鋭く見下す釈迦如来などの仏前の方が、彼我の境界線を残酷なまでに意識させる点で明快でよい。

いや、実はライブハウスに入り浸る人々も、彼我の境界線をなくそうなどとは少しも考えておらず、ステージの上の演者にどんなアプローチをかけようとも、決して一つにはなり得ないもどかしさを確認しているだけなのだろうか。まぁよくわかりません。

夢の中で訪れる町があって、だいたい下北沢に似ている。
暮らしてもおらず、そんなに良い思い出もないのに、滞在時間が長かった(バイト先があった)ので抜擢されているようです。
どこへ行くにも車が必須で、町というものが輪郭を失って、人々と地域とのつながりが、世代によっては崩壊している愛知県西部に住んでいると、下北沢で絶え間なく繰り広げられる、所狭しとビルが立ち、店が入っては去り入ってはビルごと立ち退いて…のドラスティックな営みに対して、ちっとも変わらない事を続ける老舗とのコントラスト、そして何が起こっても拭えない独特の不衛生な閉塞感というのがちょっと懐かしい。
いや、懐かしい…?全然思わない。なくなってしまえばいい、とも思わない。あらゆる積極的な感情が惹起されない。

どれが、もう考えなくても良くなった事柄なのかを見定めて、考えないようにする。それが大事な気がするんだが、まだ自分が世界の辺境でモゾモゾ蠢いているだけの存在であることを、認められずに分不相応に色んなものを甘噛みして回る事をやめられない。