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昨日は郡上踊りに参加。往年よりも人手が少ないが、コロナ禍を経て密集の度合いに対する寛容さが壊滅的に変化してしまっており、少しばかり不安を覚えながらも踊りに興じる。少し踊れば思い出す。何かに気を取られているとあまりにも簡単にとちる。振り付けを覚えて、新町通りに横たわる一つの大きな営みの歯車の一つに成り下がった快感が引き潮となり、少しばかり飽きてからどれだけ作業を維持できるのか、といった勝負を挑みにきている。9月までにもう一度行きたい。

世間はドーナツブームらしい。薄々は気づいていたけれど。勝負事から半分降りながら、逃げ傷をつけられる事なくリングを駆け回る事は難しい。あるタッチとあるタッチの間の空間が、同じ絵の具で以って、惰性で埋められてしまっているのか、必然性を持って埋められているのか、私には分かる気がしている。引き算が難しいのは、求められる値が同じであっても、道のりが異なるという点を見せつけることが難しいことに起因している。端的に言えば右隣の宅を訪ねるために、通りに出て右に曲がるか左に曲がるか、といった違いかもしれない。
また頭から考え直すのか。石を飲み込むような話だ