東京の夏の暑さは、愛知とは質が異なっていた。
田んぼに囲まれた私の生家は、水が入る時期はものすごい湿気に包まれていたし、用水路も含めると結構な数の水路があって夜はしっかりと冷えるし、色々と勝手は異なっていた。
そこかしこでスケボーしている若者を見かけるにつけ、地元ではアスファルトが凸凹でない場所を探すのだけでも一苦労だったことを思い出したり。
バイクでどこかに出かけようにも、土地勘がないと青看板のある片側3車線ほどのバイパスばかりを進むことになるわけで、かなりの緊張を強いられるたび、自分の住んでいた町…自分の生活圏は、離合の難しい細い道や点滅する信号機の中で完結していたんだ、ということを思い知ったり。
小さな小さな差異の蓄積…、友人の言葉遣いの違い、微妙に伝わっていない、拾いきれない心の機微、寡黙であることへの美徳、歩くスピードの速さ、呆れるほどの人の多さ、大事に付き合ってきた自分という存在を、数字の1として「仕分けされる」ことに対する違和や怒り。
それら全ての要素をあらかじめ想像して、じぶんが暮らす町を移す事に耐えうるか、続けていけるのか、と自問するなんて芸当は、ハイティーンには全く及びもつかない。今でも分からないかも。
情熱に絆されて、あらゆるストレスに蓋をして突き進んだり。するのかもね。
でも今と学生時代とでは、明らかに情報を言語の形に処理する能力に差がある。
上に書き出した小さな差異。これら全て、30代に入るまで言葉にして置き換える事ができなかったんだから。
ほんとだよ?今じゃ口から生まれてきたようなお喋り男ですけど。
ずっと、愛知と東京との小さな違和感に苛まれていて、苛まれていた割に、それが言語としてどのように表現できるのか、わからなかった。
初めての下宿、荷解きの日は母がついてきてくれて、板橋駅のホームに電車が来た瞬間、「東京は車両の数が多いしホームも長いね」なんて言ってた。
言ってたんだけど、俺には目の前の埼京線の電車が10両連なってて、愛知でよく乗っていたJR東海道線が、4両編成であることの区別がつかなかった。形と呼ばれるものの違いが、勉強しないと分からないから、例えばベースとギターの区別がつかない妻のことが、全然嗤えない。気持ちわかっちゃうんだもん。
「なんかうまくいかないんだよな」という気持ちを抱えて日々を暮らしていく苦しさは肉付きを持って現前するのに、それがどんな形をしているのかが皆目わからない。
だから小説や漫画を読んだり人の話を聞くことで、私は「この世に生きる人の心にどんな苦しみが宿るのか」を学んで語彙として蓄えて、自分のそれに当てがってみることを延々と繰り返して、なんとか「普通の人っぽい苦しさ」に成形することができたような気がするけど…
こんなに生活することが難しいなんて、聞いてなかったよ。
この世にリリースする前に教えてくれよ、などと、神仏に対して恨み言を唱えてみたくなったりもする。が。
知ってたら、そもそも生まれてこない、なんて言い出すことだけは、まあなるべくしたくないよね。