2012年8月某日。
その日は日本列島のほとんどをあまねく曇天が覆った日。その月はその一日だけ、関東に雨が訪れた。よく覚えてる。
誕生日だったその日、私はバイトを休んだ。祝う労苦を同僚にかけたくない気持ちと、少しの見栄、本当にそっとしてほしい気持ち、綯交ぜだ。
彼も休みだった。前日の夜、私に池ノ上のアパートに来るよう、連絡があった。
当日、彼は開口一番私にこう告げる。「今日は、晴れをプレゼントしてあげる」
二人でネットの天気予報サイトを比べ見て、全国で唯一、晴れマークを掲げていた新潟を行き先に定めた。
嬉しくて、どんより曇り空が垂れ込め始めた東京を背にしながら走る列車の中、嬉しくてドキドキしていたはずなのだが、11年も経つとどんな道のりであったのか、まるで思い出せない。
ボックス席の窓際に虫取り網を2本、立てかけた写真がデータフォルダに残っていたので、下北沢で網を調達してから出発したのだろう。
弥彦神社に向かったこと、その森でオニヤンマを捕まえた事、4~5mは下らない、あれはナス科の巨大な草本だったように思う、ひとりばえのタバコだったのだろうか…、その大きな植物の写真を撮ったこと、それ以外、どこに立ち寄ったのか、何を食べたのか、どんな話をしたのか、まるで覚えていない、けれど覚えている、忘れられない遊びの一つだった。
おはよう、今日はどんな遊びをしようか?
怒ったり愛を告げたり、次にバイクにまたがる人のためにギアをニュートラルに入れてエンジンを切ったり、サークルに入ってきて数か月目、定着しかけてきた女の子を口説いたり、許可を取りつける頭がなく花火をして怒られたり、怖い人だと勘違いされて避けられたり、ほかにすることも思いつかないから明け方まで涙を流してみたり、みんなのいないところでやんわりと対話を拒まれたり、少しのアルコールで酔いを楽しむためにその場で腿上げしたり、ベンチで凍えるまで横になってみたり、ホームレスの話に朝まで付き合ってみたり、たくさん傷つけて傷つけられた総和であるところの私はしかし、いまだ大した遊びを思いつくことができずベッドの中でまごついている。いい父としてもいい夫としても、今のところ存在していない。この先もどうかわからない。
でも誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられることを極端に拒んだ結果、自分で自分を傷つける歌だけがまかり通る世界に納得もいかない。
もうだんだん年老いて、テキストや歌詞の中でしか描くことはできないけれど、疎遠になった友人やかつての恋人と再び遊びに行きたく、デートに繰り出したい。
「傷つき傷つけられたという過去」というものは、あくまでたくさんある視座のうちのひとつによる副産物である。誰かの誠実な願いが結実せず、瓦解した建造物の切っ先で指を切って「痛い」と叫んでいるだけかもしれない。
遊びを記録する。戸惑いの中で指一本動かせずに立ちすくむ、私以外の誰かが足を踏み出すことを願ってみる。
これはそういう日記である。