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年が明けた。旧年中は身内は誰も死んでいないため、このように発話できる。
「あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします」

日本国民のほとんどの人が休みに入っているかのような印象を受ける。
年末年始だけはさすがにテレビ番組がちらちらと視界の端を横切る。
妻が知らぬ間にジャニーズの構成員(他の表現が分からなかった…ジャニーズの子?)のファンになっていて驚く。とても綺麗な顔立ちの男の子だった。

早く仕事を始めたいのだが、基本的に請けた仕事をこなして生計を立てている人間であるため、仕事がなければすることがない。
家の中をより快適に過ごすために木材を切ったり貼ったりして過ごしている。
妻の容体を気遣ったり(時々臥せる)、息子とボール遊びをしたりする。簡単に腰が壊れてしまい、今度は私が布団からおきあがることができないでいる。ただただ悔しい。

韓国のイラストレーターさんのインスタアカウントを見つけてフォローする。鉛筆を流麗に走らせて、女性の…いくぶん漫画的な顔つきの女性を描く数十秒のその動画を見ていると、まるでラブレターの筆致を覗き見ているような錯覚を覚える。心地よくて何本も彼の(彼女の?)動画を見た。

以前、「ラブレターの黒く埋められない人生は寂しい」と、このブログに記した。記したわりに、私もラブレターを思いの丈のみで黒く埋め尽くすことはできない。
例えば友人やかつての恋人、家族に対してなにも思わないわけではない。
ただ、手紙にしたためようと、頭の中の彼や彼女にかんする事柄を、自分自身から切り離して一人の人間にまつわる話として成立させる作業が、思ったよりむずかしいのである。

自分自身の挙動とは深く関係がなさそうな事柄を、切り離して言葉に直す間に、姿を消してしまう小さな小さな振る舞いがあって、それが重要であるのか、大した行いではないのか、私にはわからないのだ。