古着が好きであったが、それはつまるところ、デザイナーや職工が明日も糊口をしのいで生きていくため、あれやこれやとあくせく必死に頭をひねらせたり、理想とは異なるデザインを大量生産のために是としたりするような、人間模様、人間の都合が新品の衣服よりも「見えづらい」というところに、私の幼稚な頭が牧歌的な魅力を感じていただけであると、知ってからなんとなく古着に積極的な魅力を見出さないようになった。
アウトシームのステッチを一本にするか二本にするかで、一晩寝ずに頭を抱えていた人だっているだろうし、体に毒を受け入れながら、美しいインディゴに布を染めていた職人だっているはずであり、世界中のどこにいこうと、人間がその土地にいる限りは悲しみや喜びも同じように持ち込んでいるわけで、私はいい加減に完膚なきまでに青々とした、美しい芝やユートピアが、この世のどこかにひっそりと存在しているといったような幻想を捨てなければ、生きづらい。
それでも心のどこかで捨てきれない期待は、そのまま大事に取っておく。
いつか諦めがほどいた力拳を、高々と振りかざして、喜びに打ち震える日が、ないともかぎらないので。