久しぶりの雨である。窓を開け放ってその足取りに耳を澄ます。
水の音は心地いい。作業の手が止まった瞬間に耳にする、洗濯機のドラムが回る音はやすらぎである。
雨は永らく嫌いだった。
お気に入りの長靴を手に、今は大分、好きになってきたと思っていたが、どうやら違うようだ。
雨が嫌いなのではなく、濡れていると煙たがられる用事に出向くことが億劫なのだろう。
傘をしまっておくビニール袋や、靴のゴム底を拭うモノフィラメントのマットに汚れを託して、ニコニコしたり、神妙な面持ちで書類に目を通す営みは、なんだかおしゃぶりの取れていない男の所作に見えてしまう時があって、私はもう少し、私と私以外の世界とのかかわり方を考えてみたい。
私が作る店は、雨の時にいちばん心地の良い店にしよう。
それは雨に全く濡れないことを意味しない。
たぶん、時折雨粒が吹き込んでくることが、心地よく感じるような作り。きっとあるはずだ。
人は変えられないけれど、心持は作れる。たぶん。