打ち水の跡

目の前といわず、町ぜんたいにばさっと、椅子の背もたれにむけて宙を舞ったジャケットのように、かけられた分厚くてやりきれない気持ちのするヴェールのようなものが、確実にあった。
さいきんは、私はそれを見ないようにしている気がする。肩が重いなー、なんてこぼしながら。
人の話を遮っていることに気づかずに、一心に話し続ける人にわずらわしさだけを感じるようになってきた。
液晶画面を流れるニュースはどんどんと膨らむ数字を伝え、しかし私の世界にはようやく平穏が訪れてくれているようである。
私のいる地面を雨水が流れ、頭上を雷が捕食者の気まぐれのように訪れている最中、すいすいと漂うクラゲに私はなれない。
常夜灯が気がかりで、その下にたたずむ人の幸せを願っているうちに、海に訪れた夕陽はやせ細って沈むんだろう。
私は電話をひっきりなしにかける。家にいますか。ああそう。
持ってくるはずだった水筒が、玄関で待ちぼうけをくらっている。
土の上に蔓延るルールを知らされなかったのか、高い所を目指さず、アスファルトに這いつくばったままで羽化を試みたセミが、背中も碌にやぶれないまま朝を迎えて、事切れている。
海の写真を見て、私は夏をすっかり失くしてしまっていることに気づく。