なにごとかの怒りの、轍のようなものを残して躯体はどこかかなたへ消え失せてしまっているため、私はなんの話をしているのだろう、よくわからなくなってくる時がある。
日本語のやめどき?
あんまりうまく話ができたためしは、とても少ないので、せっかく興味を持ってくれた人に、卑下するような表現で言葉を返してしまったり、話が長く長く伸びていって、肝心の要諦が言葉の砂嵐の中にかき消えてしまっていたり、という経験ばかりである。
あなたのその、目に涙をいっぱいにためて肩を震わせて放つ言葉は、誰の話をしているのだろう?
言い間違いは誰にでもある。それは屋根よりも高い絶望だ。
私の放つ「おはよう」は、どんな意味に聞こえるのだろう、反対に、あなたや彼の放つ「おはよう」に、どんな意味がこめられているのだろう。
ハイコンテクスト文化の、最たる言語である日本語に時折疲れて、わんわんとか、ニャーとかで伝わる部分のみの言語世界に戻りたい気持ちがたまにわきあがる。
私は私のいる世界から一歩も出られないことは、わかっているので、かくなるうえは、自分で手足を使って、世界を広げるしかない。
日本語のやめどき?
まあ、ちょっと考えましょう。