庭について

短い時間で、どれだけたくさんのことを終わらせられるか、ばかり考える日常が続いている。
傍らで指を咥えて、声を掛けられるのを待っている少年が一人、佇んでいる。
それは息子のようであり、かつての私のようであり、遊びの世界に入っていくことができない私も、書類の束をまとめたり見つめたり、誤って床にこぼしてしまったりして、指を咥えるそのそぶりを表現する。

庭に苔を生やそうと思い立つ。いつまでも続くかのように思える雑草との戦いを、なるべく楽で、それなりに見栄えの良い形で決着をつけたかった私が、苔に縋りついた。手がぬるっとすべりそうだ。
苔に関するビジュアル本を仕事の合間に眺め、審美眼を養ったのちに降り立った庭は、意外なまでに苔に覆われており、じゃあ彼らを、うまく繁栄に導いてやればいいのだな、話は簡単だと、使い古した歯ブラシで苔の間のごみをとったり、何回にも分けて、シャワーヘッドから水をかけたりしてみる。
新たな問題に直面したのは世話を始めて二日目。
汚いと感じてしまった。
不快にまとわりついて、穂が私の足を爛れさせるような高さにない、ロゼット状の草木は敢えて抜かないようにしていた。
グラウンドカバーになり他の植物が育つことを阻害してくれるし、邪魔にならないからだ。
庭に散在するそれらの背の低い、可愛らしい草木が、統一感を損なう、汚いものに見えてしまったのだ。
ゴミ一つない、綺麗な庭は、人間の美意識の発露、その結果。
そこに、生き物の生き死にが関わってくると、私はある一定のところで、二の足を踏んでしまう。
美しい庭は好きだ。
だけど、低木をかき分けた下には落ち葉が散乱し、エノコログサが茂った庭に住んでいることが、一体どうだというのだろう。