蛍光灯と私の間にある前髪がうっすらと栗色をしている。ふわふわと視界を横切る糸くずがひとつ。鳥肌の立つ瞬間を捉えたり。
人を見つめ返して会話しなければならない事を知ったのはいつ頃だっただろうか。私の目はいつも覗き見だけをその主たる機能としており、そういえば生まれて初めて一目惚れしたときも、すれ違う彼女を横目で見た際の感情に囚われた、といった顛末でしかなく…いやちょっと待てよ、誰かと面と向かってニコニコと愛想の良い対応をしながら、その実、雷に打たれたような一目惚れの衝撃を内に秘めているような事がありうるのだろうか。それは本当に恋か?ふつうは椅子から転げ落ちたりするんじゃないか?
地獄を見出すことがとても難しい。今日もどこかで人が死に、子供が泣いているのかもしれないのに、私の携帯が着信を告げることはなく、妻は寝入り、さっき息子が寝ぼけて襖に手をぶつける音がした。言い知れぬ恐怖や遠くない未来への不安は、私から訪ねないと中々招き入れてはくれない。
明確で力強いある一時点の未来を思い描き、そこから演繹的に現状のタスクを見出す作業がまるでできない。その割に根拠に乏しい全能感に心が占拠され、足が少しも前に出ない日がある。
こう記すことで少しは私が現状を理解する助けになるだろうか。私自身にたずねてみたい。いや実際、たずねてみよう。
感情や感傷は、現時点での私にとっては余計なお荷物である。とっても重苦しく耳が痛い表現で私に何事かの指示をするならば、内容はただ一つ、勉強しろ。これに尽きる。