『朝が来て 苛立と目が合った』
salyuというミュージシャンが好きである。
学生の頃、特に中高生の頃に聴いていた音楽というのは、その思い出を共有する友人たちごと、ひっそりとした雑木林を貫く遊歩道の柵を乗り越えて少し行ったあたり、例えば土にまみれたビニール袋やペットボトルなどが散乱していて嫌悪感を催させ、誰もが足を止めようとは思わないあたりに埋めてしまいたい気持ちが湧きおこったりする。
彼女はそんな、埋めてしまいたい思い出を構成する一人ではあるが、不思議と今でも聴いている。彼女の歌声が好きだ。彼女の歌詞も好きだ。冒頭のフレーズは彼女の作詞によるもので、いつも同じプロデューサーに提供された楽曲で、歌詞で歌っていた彼女の口からは、到底出てこなさそうなフレーズだったので、強く印象に残っていた。
彼女がsalyuの名義で歌い上げる楽曲は、少しフックが効いているものもあるがポップスの範疇を一歩も出ないものがほとんどであるのに、陰鬱なロバート・ワイアットの楽曲を歌う時があるのも、なにか彼女個人の内面を覗いたような心地がしたものだった。
完璧から程遠くなってしまったもの、ぴっちりととなりあわせた両手のひらから、こぼれおちてしまったものに、私はいつも人間味を感じる。ベッドに横たわった家族や恋人の、上下する胸をみて覚える安堵に近いものを、私は覚える。そこにしか、もう人間のすみかは残っていないのかもしれない。苛立と目が合って、いそいでとりつくろう私たちの、口角に似た場所にしか。