ロストイン板橋

家の中で一人、かくれんぼをするのが好きな子供だった。
兄も姉も年が離れており、物心がついてからの、私の遊び相手は私自身だった。
かくれんぼは私が根を上げるまで、寝床にいないことに気づいた母が探しに来るまで、だれに気兼ねすることもなく続けられる遊びだった。

18時23分、私は職場を後にして、神保町のA7出口の階段を下りる。
三田線に乗り込み、今日は非番で、一日家にいてのんびりしていた恋人の元へと向かう。
昨日借りてきた映画でも見ながら、帰りを待っているのだろうと思うとしぜん、足取りも早くなる。白山。
恋人は洒落た映画が好きで、ミニシアター系の映画や、画角の変わらない単調な映画ばかり借りてくる。
私にはどうも退屈で、彼女が映画を観ている時間が洗い物をするタイミングであったりする。新板橋。
対して私が好きな映画は、アメリカの大味な映画ばかりだ。
知らないどこかの片田舎や、街路樹が規則的に植えられ、両サイドに新築の一軒家が統一感をもって立ち並ぶ住宅街に、カメラが降りていく瞬間の多幸感はなにものにもかえがたい。本蓮沼。
多少不格好でもかまわないから、幾分か前向きな気持ちを与えてくれるヒューマンドラマは、DVDをトレイから出して仕舞った後の私の生活に、彩を与えてくれるような気がしているのだ。西台。

プシュー。ドアが開く。わたしはホームに降り立つ。
まだ恋人の待つ家までは数駅ある。
しかしわたしはここで降りたかった。ドアを閉めて車両が走りだす。生暖かい風が背中をなぜる。
いま、わたしは東京の片田舎で遭難している。
会社はおろか、家族、恋人、誰もがわたしをロストし、居場所を知るのはオレンジ色のベンチに腰かけて、ビニール袋にいれたままワンカップを口に運んでいる酔っ払いだけである。
わたしの身体のくまなくすべてに、今までどこで凝っていたのか、ありったけの血液が回り始めて…わたしはわたしの足を右に左に、踏み出して、たった今、この世に生を受けたばかりのような心地でプラットホームを縦断していく。
色っぽい用事があるわけでもない。馴染みの店があるわけでもない。
ただこうして、わたしは誰からも把握されることのない空白のような時間を己に与えたかったのだ。
山頂から瞬く間に、すそのを転がり落ちていった岩を再び山頂に運ぶために、山を下るシーシュポスの背中ににじむ汗、吹き付ける風。
あの瞬間こそが、彼の地獄における唯一の幸福な時間だったのだ。
煙草の一本も嗜む男でない事を後悔する。キオスクは下世話な広告が躍る。
アセスルファムの苦味が気になる缶コーヒーを一息に飲み干して、わたしは滑り込んできた電車に再び折り重なる。

小旅行、かくれんぼの続きを終え、私は再び家路を急ぐ。