しゃっくりに塩水

今までに意識せずにいた何ごとかを完膚なく打ち壊して、もう二度と元通りには戻せなくなるような契機がある。
それをいつも探している。
果たして下世話な覗き趣味からくる気持ちなのだろうか。
最初の体験は、喫茶店の窓の向こう側にいる男女の台詞を、聞こえないのをいいことに吹き替える遊びだったかもしれない。
平凡な恋人として、兄妹、上司と部下、後妻と義理の息子として、殺し屋とクライアント、節足動物の王と、軟体動物の斥候として。
席を立つ頃には、私には彼らがどういった関係で一緒にいるのか、まるで分らなくなってくる。

悪戯は私の頭や思い出に傷を残していく。
役者が緻密な脚本に憧れるのは、精彩を欠いたそれに、存在するはずのない傷をつけられるのが怖いからだ。
嘘だと聞かされながらも繰り返した会話が、時間を経て変容して、現実の生活に影響を及ぼす。
「しゃっくりには、塩水が効くんだっけ…?」
私の知り合いで、パチンコ屋から出てくる車には絶対に道をゆずったりしないと断言した人がいた。
存在もしなかった傷が、みるみる爛れて拭っても消えない。

身体を通じて、私に訴えかけてくるものすべては毒にもなり得る。
水にも中毒症状がある。急に突き放されたような気になる。
800系つばめが好きで、本物を見に来、中に入ってしまえば、つばめの姿は見えなくなってしまうわけで、ではどうしたいかという問いに子供たちは答えられない。
本物の新幹線に対しても、トミカに対してするように、ブーンとか言いながら手で持って走らせたい。
わかるよ。俺だって他の人になりたい気持ちが上手く捨て置けないんだもの。