in jail

眼鏡くらい好きに曇らせてやれ。
箸が転がる程度で可笑しくて、汗染みの一つすら気恥しく、何かのきっかけで、明日には崩れてしまうかもしれない関係におびえて過ごしていた十代の頃を思い出す。
私が思うに、私は学窓の被害者だった。
誰かが無軌道に放った針に傷つけられ、歪められた者の一人だと認識していた。
十数年たち、冷静に思い返すに私はかなり多くの人々を歪め、大事なものを奪っていった一人であったことに思い至る。
具体的な例示はできない。あんなことやこんなことである。
とにかくティーンエイジャーのすることは活字に起こそうとすると、こっ恥ずかしいものが多く、口にするのはもっと、憚られる。

私たちはどうして、ああも不自由だったのだろうか。
檻のように見えたものだ。
校門へと向かう最後のL字カーブ、私と右手にある校舎とを隔てるものすべてが、日差しすら檻に見えた。
なのに私は檻の中で、そうとは気づかずどう猛な捕食者であったのだ。
あんなに不自由な体と精神を引っ提げて、毎日同じ時間に門をくぐることを、3年間続けて、そこで躓いてしまえば、その後数十年、挽回が難しい、門をくぐり続けることよりも一層難しい努力を強いられる仕組みは、いまこうして疲れた体をソファに伸ばし切って考えてみるに、狂っている。
明日も同じ微笑みを返すことが、そんなに価値のあることなのだろうか。