自然な悲鳴

大声を上げて喚き泣く女を見て妻は演技だという。私の頭の中を駆け巡る想念が日本語を頼りに歩みを進めるように、彼女の嘆きというのも自然なものだったのではないか。口には出さなかった。私の考えはいつも遅すぎる後日譚だ。

ふいに懐かしい、あまりに懐かしいメロディが耳に飛び込む。三重にあるリゾートホテルの、私が頻繁にテレビを眺めていた高校生時分に、チャンネルを回せば必ずと言っていいほど耳にしていたCMであった。
2000年代に入ってからマイナーチェンジを施されたヴァージョンで、少し浮遊感を強めた楽曲に、主旋律の別の側面を感じ取った記憶。懐かしがる母。
ブラウン管の寸法で拵えられた映像を、今のテレビの規格に合わせたため、不自然に横長である。扁平なミディアムレアのステーキがフォークに突き刺さって持ち上がる。
ふと、世情に思いを馳せてみる。流行り病の煽りを、受けないはずのないホテルが、懐かしいCMを打った。日曜のゴールデンタイム、枠は決して安くはないはずだ。
あれは悲鳴だったのだろうか。自然な悲鳴。
温かい雨の日。
ガリをかきこんで茶を啜った。