ノトーリアス科捜研

ハチャトゥリアンの『剣の舞』が好きである。
全然、アカデミックに好ましい気持ちが湧いているわけではない。何をイメージして作られた曲なのか、全然調べてない。
上を下への大騒ぎ、奴隷同士にレイピアを持たせての殺し合いを肴にした狂宴…みたいな情景が次々私の頭をよぎるが、私は途中でフィーチャーされるクラリネットがたまらなく好きである。
血なまぐさい宴の脇をチョウチョがひらひら、緊張感と無縁に出鱈目に飛んでいるような。
一つの咳払いも、瞬きすら禁じられた人々の、傍らの梢で鳴き散らすシジュウカラみたいな、暢気な印象を覚える。
学生時代、わたしたちは空調も碌にかけてもらえない武道場に集められ、教員の話を、それこそ食い入るように見つめることを要求されながら聞かなければならなかったわけだが、そんな時に窓外から聞こえるヘリコプターのプロペラ音は、私にとって一服の清涼剤であったことなどをぼんやり思いだす。
人間と人間との間で交わされるこうした身体的な緊張感は、他の生物が共有できていない以上、太陽が東から昇るとか、1+1の和が2であるとか、そういったアプリオリな話ではなく、では私たちは何を感じ取ってそれに支配されているのであろうか。
「関係」とか呼ばれる、その薄ら寒い興ざめな気体は私の背筋をピンと伸ばさせたり、口角を張り詰める筋肉を弛緩させたり、またはそのふりをさせることを要求する。
あんまり吸い込みたくない気持ちと同様に、吐き出したくもない。手にした棒で人を叩く想像は、できるだけ早くかなぐり捨てたい。
もう何時まで続けるのだろう、60分でカタが付く、殺人の伴う刑事ドラマの動機のほとんどが縁故である。「関係」を吸い込んだ人ばかりだ。
なんとなく、家から一番近いコンビニがampmで、不便で腹が立った、みたいな動機の殺人犯は出てこない。もう『異邦人』の昔から描かれているのに。
視聴者のターゲットを絞るのはいいが、現実を狭めることには首肯できない。話がそれた。

一杯500円。いやいくらでもいいけど。
私は将来、誰ともそれ以上の関係は結びたくない。
全身全霊で感謝はお伝えする。だけどそれで終わり。
私はすべての人に微笑み返せる。
いい人でありたいと願う気持ちは、持っていてもいいでしょう。