ドライブスルーと称して、ヘアサロンの軒先でコーヒーを出している。
いつまで続けられるのだろう。
最悪のパターンは最大限の努力を払って未然に防ぐとしても、快く思わない誰かに石を投じられる日も、もしかしたら近いのかもしれない。
そんな時に、てやんでい、に近い、とっておきの言い回しがもつれずに口にできるかわからないので、実際に誰かの声高な指摘や批判を前にしたとき、私はもしかしたら、何も言えず力なく笑って、すごすごと立ち去ってしまうのかもしれない。
でも私は怖い。
おはようを交わす隣人や、今時分に植えるべき苗、冬のブーツの虫干し、伸びてきたドクダミの刈り取りや干しておいたタケノコの取り込み、釣り竿の塩抜き、出し忘れていた手紙の返事…
疫病に、出かける場所を奪われてしまった人々の心に、これら数多の営みがぼうっと、灯台守のもつ篝火のように浮かび上がって、少しだけ先の事を、夕暮れまでの未来を照らし出してくれることはあるのだろうか。
お金を安定した額、家族に手渡すための営みはゆっくりと時間をかけて、確実に、人の私生活に関する想像力を奪っていく。
土曜日の朝に寝床で覚える感情は、これから始まる休日への陶酔なんかではなく、眩暈のするほど長い、空虚な時間を握りつぶしていく、その感触への恐怖だった。
どこにも行けないのなら、ここにおいで。
大きな声では言えない。しかし届いてほしい。
私はここで何度でも、コーヒーを淹れることにしよう。
他愛もない天気の話がしたい。