今日も仕事の合間に長屋に向かう。シャッターに開けられている、ポストの役割を果たす横長の穴に水道メーターの問い合わせ用紙が挟まれていた。使用料を記入して、再び穴に差し込む。
友人の声かけにより、人生で初めてのパーカッション…パーカッションと呼んで良いのか、は、まるで自信がないが…、とにかく何かを叩いたりなどをして音をだすパートを仰せつかる。その練習に私は来た。
友人の楽曲を bluetooth 対応のスピーカーから流しつつ、この曲ではどんな打音が似合うだろうか、聴きながら叩き、足りない音を探す。
連想とはかなり不思議な能力で、私は歌詞を聴きながら付け足していきたい、もっと大胆にいえば付け足すべき音が聴こえる。だんだん聴こえてくる。なぜか確信までもれなく得られる。この曲にはこの音が欲しい、しかし倍音が冷たく感じるからフルートではないな、ラッパだろう。でも吹けないし手元にないから口で出してみよう、ここはラジオの音が欲しい、AMで、何事か、あまり興味をそそられないがために言語内容がまったく耳に入ってこないラジオの音を感想に挟むことで閉鎖的なライブハウスで突如、外界に思いを飛ばす瞬間を提供される。これは楽しいだろう。演奏日時と曲順から、ラテ欄の中で一番「それらしい」番組を選んでおこう。周波数をわずかにズラして、ノイズも入れよう。
といったことを短い時間でスラスラ思いついてノートに書き留める。いつもは何も感じないが、今日突如、これはかなり特殊な能力なのではないか、と思い至り、少し嬉しくなる。昔読んだ、燃え殻さんのエクレアの才能みたいなものだろうか。もう少し、人の役に立つメジャーなスキルが欲しかったが、しかたがないだろう。さまざまなのうりょくの不足を甘んじて受け入れることにしよう。
私は練習の進捗に小躍りしながら、しかし本番ではこの準備したものを全く披露しない可能性に思い至る。なぜか。当日の朝日を迎え入れるのは現在の私ではなく、当日わたしの体に宿る意識だからだ。
そこは連綿と繋がっていないのか?残念ながら、そうであると言い切る自信があまりない。明日も煙草を吸い、日本語を話しているかもしれない。それ以外は、あまり自信がない。
シャッターを閉めて、長屋を後にする。挟んでおいた水道局からの手紙は、シャッターの上げ下げで格納スペースのどこかに巻き込まれて、無くなってしまっていた。
残念だ。二度手間をさせて、申し訳ない。忘れて欲しい。