朝は焙煎。終わると同時にインターホンが何度も音をたてる。向かいのおばさまが焙煎の煙を見て火事だと心配したようである。火事ではないことを伝え、詫びる。早いところ焙煎所と、より強固な換気設備を設けなければならないと痛感。この煙は、コーヒー好きの間でも好みの分かれる匂いを纏っている。
車屋から電話。アクティのエンジンはもうイカれてしまっている、という前提でパーツを取り寄せるが、どうするかというもの。車検が終わって数ヶ月しか経っていないが、乗り換えのタイミングだろうか…マニュアルのタウンエースに乗って出店に出かける姿を夢想する。今よりたくさんの荷物が乗り、シートを倒して仮眠を取ることができ、高速道路上でも、エンジンをぶん回すことなく走ることができれば、特に車種にこだわりはない。が、ハイエースよりは断然、タウンエースやバネットの方が見た目が良い。見た目が良い事は、とても良いことである。そう思わせる、支配的なまでの力を備えている。
夕方からは極端なまでの大雨。少し吹き付けた風に簡単になびいて軌道を曲げる、軽い粒だが勢いのある雨。篠突く雨とも違う、夕立とは風情がまるで異なる。にわか雨にしては、少し長引いている印象。
で、現代人が捻り出した雨の名称が「ゲリラ豪雨」。
うーん、ダサいなあと思いながらも、使い古されてだんだんしっくり来てしまっている、気がする。ゲリラという言葉の認知が、人口に膾炙していく最初の過程…すなわち、いくぶん過激な政治活動を示す語、テロとの類語として使われていた時代を知らない。
いまは、突発的な…とか、奇襲に近い、みたいな意味で使われているのだろう。それにしても、存在する以前の雲行きや時間の経過が、その物事の名称に影響してくる点はとても面白い気がする。時間の切り取り方と受け手の心持ち次第で、なんでもゲリラに相当してしまうじゃないか。例示するのは…面倒なので控える。