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自分の生活のことを振り返ると、何度も繰り返してきたために馴れてしまってなんとも思わないが、他人からすると奇異に見える営みがいくつかあったりするものである。ですよね?
いまはちょっと、寝起きなのでうまく例が出てきませんが、例えば一日一回は逆立ちする、と説明すると人に驚かれたり。寝る時は下着以外身につけない、とか。
習慣的に行う行為それ自体が、わかりやすい特殊性を帯びている場合もあるけれど、顕在化しづらいものとして歯を磨くときのブラシを擦りつける力強さとか、もっと顕在化しづらいものはトイレで用を足した後にどれくらい尻を拭うか、であろうか。
汚い話で、お食事中の方はすみません。食事中にスマホを手放さないあなたにも非があると思いますがね!

他人のそれと比較することが容易ではないので、長い年月を経て他の追随を少しも許さないほどにヘンテコな習慣となってしまった行為…。まあでも五感だって、よくよく考えてみたら他人がどう感じているかは把握する術が全く無いわけで。
ピッツァを食べていると、友人が「やっぱりガス火でなく薪の窯だと、薪の香りがついて好きだ」といったような事を言うので、「どれ?これ(この匂い)?」と返したら「そう、それ」と答えが返ってきて、私が「これ」と指摘した香りを友人は共有できているはずがないのに、肯定されたのが可笑しくて、ちょっと微笑み合った。

ああ違う、こんな話をしたいんじゃない。
光の4原色が認識できる女性が見つかった、みたいな話が昔あった。
あの話を契機に不安に思うこと。
私が「赤」と思っているものをみんなが同じ色として認識できていると、どうして分かるのだろう?
色の解像度が高くて、微かな差異を感じている、とかそういう話じゃなくて…例えば、生まれ落ちた瞬間からすべての赤色が青色に、また青色が赤色に見える病気を患っていて、青色(に見えているもの)を「赤」だと習い、赤色(に見えているもの)を「青」だと習い、したがって日常生活を送る上ではどこにも支障がでない。けれども実は他者と自己との間では生きているうちに見えている世界が全く違う。
みたいな。
他人の定性的な価値判断に対してものすごく猜疑心が強いからこんな事を考えるんです。

先日、「あなたが人気のコーヒー屋さんですか?」と話しかけられた時に、本当に久しぶりに脳みそがフリーズする感覚を覚えました。人気…人気とは…?

赤が青にみえ、そしてそれを「赤色だ」と教わった人と、一緒に堤防に腰掛けて夕陽を眺め、例えば「今日は夕陽が綺麗だね」といった言葉を口走って、同意をもらえたとして、私は本当は、到底理解し得ないはずの感覚に寄り添おうと同意してくれた友人の心に可笑しさを感じながら、少し微笑んだりする必要があるのかもしれない。