霧が海を運んでくる。
手塚治虫のブッダという漫画は、当時小学5年生だった私に、まったく身構えてない瞬間を狙って鈍器で頭を殴られた時のような衝撃を与えてきた。死ぬことに対する恐怖は、10歳の夏を眠れないものにした。
20数年が経過したが、普段身を置いている社会の約束事では、私から死の恐怖を取り除く手助けにならなかった。明日も同じ時間に起きること、人と挨拶を交わすこと、男は男の、女は女の期待されている役割を果たし、リンゴは時間と9.8m/s²の積で求められたスピードで落下していく。電車で騒いではならず、通路の途中で突然立ち止まってはならない。そういったことは私にとって、スムースに死に向かう潤滑材になりこそすれ、死への態度を再構築する手立てとはならなかった。
昨夜、私は忘れられない邂逅をむかえる。遡ること10年前に、すでに私たちの世界の常識では鬼籍に入っている彼の言葉に、私は再度、鈍器で頭を殴られたのだった。
この世はおもしろい。
体を震わせている私は、それが幼少期から続く恐怖によるものなのか、霧が晴れたおかげで、すぐそばに海があることに気づいた喜びを原動力にして起こる振動なのか、まだわからないでいる。