欲張りな私の永遠

私にとっての天国とか、永遠といったものがどういうものか想像してみるに、時計とそれが産んだ感性を全て排除した、全ての物事が同時に(厳密に言えば時を同じくしているかどうかを測る物差しがない)進行して終結して始まっている状態を言うのかもしれない。

そこで私は愛を語り合いながらじっと押し黙り、友人とプラットホームで別れを告げながら同じ場所で待ち合わせ、微笑みあいながら夕まずめに浮上した魚を釣り、既に空腹は心地よく満たされているために煙草が美味いが何か食べたく、踊りながら爪弾いたギターで100のメロディを想起し、浅めのスネアをブラシが這い回る隙間にダブルベースが割って入り、友人の歌声にコーラスを入れ、歌われる言葉は今こさえた詩で、終わらない夕焼けを端の方まで見届けられる風呂桶の中で湯に浸かってい、買ったばかりの白い襟無しのシャツに袖を通しており、靴の裏に蠢く草たちの踏み心地に恍惚としながら傍に見たこともないような太く巨大なイチョウの木と、それを若木の頃から見つめている心境が私を尋ねながらも、初めてその巨木を見る畏敬の念にも支配され、今目覚め、毛布に身体の熱が伝わっていることを感じながら微睡み、そして寝入り端でもある。