ムテの音楽鑑賞会、という催しを始めます。始めました。
第一回は、シンガーソングライターの堀嵜菜那さん、小池喬さんのお二方にご出演いただき、それはそれは-主催の色眼鏡かもしれませんが-和やかなムードで無事、終えることができました。
鑑賞会に関する詳細は、仲間である江内谷晃平が note にまとめてくれたので、こちらをご覧くださいませ。
なぜ、音楽は好きではあるものの、私のような門外漢が、音楽イベントを企画したのか、についてお話ししますと、とにかく明るい話がしたい。少しはマシな未来を作りたい。この2点に集約されます。
わたしは町が好きです。
朝、家族と一言も交わさずに家を出たとしても、帰路の途中ばったりと出くわせば、多少の笑顔は零れます。
いつもは通らぬ道の花屋は、ずっと気になっていた花の名前を私に教えてくれるかもしれません。
わたしは町の往来には、人を人のギリギリのところで踏みとどまらせる力があると信じているのです。
おはようからおやすみまで、家着の心をどこまでも連れて行く自家用車では、こうはまいりません。
わたしは町が好きです。
ですからわたしは、液晶の向こうからやってくる数字の波間で、思い描く限り最悪の部類の未来が、向こうからヒョイとやってきたことを痛感したのです。
4月。
町から店から、あらゆる往来から人が消え、立ち並ぶ家家が、冗談でなく離れ小島になりました。誰かの目線を感じながら家を出、または、家を出ず。
ぼんやりとテレビを眺めるわたしの目には、今まさに膨らみ続ける数字の怒涛が流れ込みます。
あるひとは、これは新しい形の戦争だと。
またあるひとは、そんなウィルスは初めから存在しなかったのだと。
皆が皆、口々に様々の事を言います。
わたしは傍にいたはずの友人や家族に、目の前の事態をどう思うのか、伺いを立てないことには、瞬き一つできぬような気がして、その確認作業の繰り返しに、没頭していたように思います。
目の前のテーブルに置かれた掌を、握り返して良いものか。
世界が突きつけてきたのは判断の保留、猶予期間は無期限でした。
わたしは長いこと蹲りました。それは一日で済んだのかもしれませんし、一月たっても顔すら上げられなかったのかもしれません。
最悪の未来がやってきた。
じゃあ、どうする?
もう未来はやってきたのだから、未来の営みを考えよう。
それも、飛びっきり先の未来へ。
この騒乱がスタンダードと化して、マスクもアルコールのツンとする匂いも、咳払いに対しての何かを思い出すかのような悲しい流し目も、全てが毎日の挨拶やハグに限りなく近づいた世界を作ろう。
帳を下ろしきった暗い影を消し去るのは、感傷的な物言いやスーパースターの扇情的な所信表明ではありません。
それはいつだって、へえ、とかほお、とか言った感嘆詞を吐かせる、無機質でアカデミックな、少しだけタメになるお話です。
この草、実は茹でたら食べれるんだってさ。
初めて伽羅蕗を食べたときの感動。
虫眼鏡を手にして、広い草っ原に降り立った時の、世界の見え方の変容。
こんな世界で僕らは生きていけるの?
わたしは観賞会を通じてみなさんに、小さくとも確かなyesの文句を捧げたいのです。