猫が三日ぶりに見つかった。
車に轢かれたわけでも、首輪が外れてしまったところで運悪く保健所に通報されて、連れていかれてしまったわけでもなく、安堵する。
学生時代からのお付き合いが続いて、父と母は結婚した。
レコード屋で、財布と相談しながら選んだ2,3枚をしげしげと眺めていると、棚に秩序だって並べられてキラキラと輝いていたレコードの山が、急に私の世界に入り込んで、焦点も碌に合わずにくすんでいる私の世界に特別な関係を纏って闖入してきて、同じようにくすんだ色を帯びていくように見える時がある。
右目が少しばかり外側を向いた私の世界の懐に、入りこむものや人が、頭からかぶる絵具のトーンがいまだに好きになれない。
力なく笑わせてしまってすまない気持ちが、あちらこちらを針で刺すような真似に代わる。
今日はズッキーニを植えた。
夏野菜を植えるのは、今時分が最後のタイミングだろう。
獣がかかとをつけて歩かないのは、その足元から花が開いていく生き物じゃないことを知っているからだ。
人は立ち止まる。
俺はこっちだから、交差点のたびに手を振って消える友達。
おじいさんになったら、朝から晩までホームセンターの品々を、じっくり眺めて過ごしたい。
もしくは高速道路に乗ったまま、命尽きるまで下道におりない生活もしたい。
人生がいくつあっても足りない。もしくは、ひとつだっていらない。