息子は幼稚園へ、私は焼き終えたコーヒー豆を包み、畑に立つ。
長く高く、屋根を追い抜いたナンテンを切り戻す。
枝の上下、どちら側にあった芽も高く天をめざし、せっせと垂直に伸びていく。
ナンテンはどのような樹形であれば、綺麗だろうか。
目の前の鬱蒼とした小さな森を眺めていて思いつく答えは、低く低く刈り込んで、低木のように仕立てることだった。
モロヘイヤは茎から互い違いに生えた葉の、すぐ脇に毒を持つ花と莢をこさえる。
トマトの脇芽を欠かずにしばらくいると、元から生えていた枝は脇芽の存在に気付くのか、諦めたように突如その首を下げ、泥を被りにつきすすむ。
パスタ釜の点火装置がうまく作動せずまごついているとき、友人は、点火装置に気づかれんようにツマミを静かに回せと言った。
促されるままにして、果たして灯る炎があったので、友人は外側へと志向する大きな糸切り歯をむきだしにして笑う。
ディルの新しい葉は古い葉をわきに押しやるようにして、内側に内側に、幼くてみずみずしい若葉を宿す。若葉は次の若葉を、抱きかかえるようにしている。
隣同士に植えた伏見甘長は、一方は既にししとうほどの大きさの実をこさえているのに対して、もう一方は徒長ぎみで、すこしも実をこさえようとはしない。
テロワールなんて言葉は、半分幻想なんだろうと決めつけることにする。
人のオペレーションが特有なんだろう。
柔らかくて融通の利くうちに、都合のいい方向へ矯正していかなければ、後々痛い目を見る。
草木を屈服させるための理屈を、人間にもそのままお仕着せしようとする人はいるだろうな、などと考える。
イチジクの枝をさすり、パクチーの花を摘んだ後の手のひらの、リコリスの入ったドイツのグミみたいな匂いにむせかえりそうだ。